5-2 和風照明 【おもてなしの灯かりから始まった和風照明】

和風照明

5-2 和風照明

【おもてなしの灯かりから始まった和風照明】 

中世に花開いた東山文化の話を以前少し触れましたが、その時代の室町時代に世阿弥が「能」を芸術に高めました。その前から能は神にささげる儀式として神社の境内で巫女さんによって舞が行われていましたが、それを世阿弥が物語風にアレンジして神社を訪れた人々にも楽しめるようにしたものです。ですから世阿弥は境内の中央にお白州で取り囲んだ場所の外側に人々を座らせ、その中央で謡(うたい)と舞(まい)が繰り広げられたと伝えられています。多くは夕方から夜に行われた行事だったらしく、人々の後方に松明(たいまつ)を焚いて薄明りの中で行われました。今でもこのやり方は「薪能(たきぎのう)」として全国各所で再現されています。そしてその松明の光は点灯したり消したり出来ませんので舞う方が能面を付け、顔を動かすことによって影を変化させ、笑っている顔や泣いている顔を表現したのです。能の舞の動きは上半身と下半身を固定させ、足だけを動かす平行移動であったのも能面の変化を際立たせる工夫であったと考えられています。つまり現在の舞台照明は光そのものが動きますが、原始的な能は光ではなく面を動かすことによって表情を作ったことになります。鑑賞者は謡や舞、能面の見え方を察知して物語を楽しむハイレベルな感性を身に付けました。上質なおもてなしを演者は求めたと言えるでしょう。

能面に当たる光によって表情が変化する

 

安土桃山時代になると、千利休や古田織部などにより「茶の湯」が大成されました。貴族の作法だった茶の湯を誰でも楽しめるものに普及したのが古田織部で千利休は照明デザイナーだったと言われています。千利休は四畳半の茶室を考案しそれぞれの畳を「貴人畳」「客畳」「踏込畳」「点前畳」と名付け朝方の「暁の茶会」を演出しました。朝まだ暗い時間帯にお客様を貴人畳又は客畳に案内して始めるのですが、中央の炉畳に置いた小さな蝋燭では茶碗などは全く見えないので、その時間は点前畳に座った千利休がお話をする時間です。炉の湯が沸いた頃突き上げ窓より朝陽が入り始めると、その光は少しずつ面積を増やして点前畳に居る千利休を照らすようになります。そしておもむろにお点前を始めるのです。千利休はあさぎ色(草木染)の着物や足袋を履いているので太陽光によって光輝くのです。つまりお客様が千利休のお点前を凝視する演出が考えられていたのです。

この「おもてなし」の演出が和風照明のデザインや素材の中に脈々と受け継がれてきました。

千利休が考案した四畳半の茶室

 

中世のこの二つの出来事は、その後、行燈(能の松明)と、提灯・和紙の灯り(天窓から茶室に入る朝の柔らかい自然光)という和風照明となって、今私達を楽しませているのです。

  行燈と提灯・和紙の灯り

 

(次回もお楽しみに)

(文/河原武儀氏)



和風照明器具のミヤコアンドン 都行燈株式会社
Japanese lamp atelier
公式サイト https://www.miyako-andon.com/